河南嵩山少林寺発祥の少林武術と日本への普及

起源と理念 – 嵩山少林寺の歴史と武術の哲学

河南省登封市の嵩山少林寺は、中国武術の代表的源流として知られています。少林寺は北魏の太和19年(495年)、孝文帝によってインド僧・跋陀(バトゥオ)を招請するために創建されました[参考]。その名は少室山の麓の深い竹林(少林)に位置することに由来しています。仏教寺院である少林寺には歴代、多くの高僧が訪れ禅宗を伝えましたが、地理的・歴史的背景からやがて武術も取り入れられました[参考]。これは、中国中世において僧侶が寺院防衛や護法のために武芸を身につける必要に迫られた結果とも考えられます(この点は文献的証拠が十分ではなく、後世の推測も含まれます)。

文献的事実

少林武術に関する最古級の伝承として、達磨(ボーディダルマ)による起源説があります。伝説によれば527年頃、インドから渡来した達磨大師が嵩山少林寺で9年間坐禅修行し、禅宗の初祖となった際、修行僧たちが長時間の座禅で疲労し眠気に襲われているのを見て、健康増進と自衛のための体操「活身法」を編み出したといいます。これが少林拳(少林寺で最初に編み出された拳法)の起源とされますが、あくまで伝説の域を出ず、史実として確証はありません。しかし少林寺側はこの故事を重んじ、少林拳の成立と禅の修行を結びつけて語り継いできました。

哲学と理念

少林寺では仏教、とりわけ禅の思想が武術の哲学と深く融合しています。古来より「禅武一如(禅と武は一体)」と説かれ、坐禅による精神修養と拳法修行による身体修養が車の両輪のように重んじられてきました。実際、少林の武僧たちは内面的な安定と超俗的な精神性を武術鍛錬に活かしており、「内練一口気、外練筋骨皮」(内に一息の気を練り、外に筋骨皮を練る)という言葉に象徴される修行法が受け継がれています。

少林武術の内容と発展

歴史的に見ると、少林寺の武僧は唐代には乱世で寺院を守るために戦闘に参加し、明代までに「天下武功出少林(すべての武術は少林に通ず)」と称されるほど多彩な武芸体系を形成しました。この誇張的な言い回しはさておき、事実、明代には少林寺の棍術(こんじゅつ)が最強と謳われ、将軍戚継光らがその卓越性を記録しています。少林拳譜によれば、少林武術の型(套路)は708種におよび、拳法・器械術(武器術)・気功・点穴術・投げ技・関節技など多岐にわたります。代表的な拳種には少林五拳や大洪拳、小洪拳、心意把などがあり、武器術では棍・刀・槍・剣・九節鞭など多彩な武器の使い方が含まれます。特に棍術(棍棒術)は「棍の少林」と称えられる看板芸で、明清期の武芸者・吴殳は少林棍を「棍家絶業」(棍術の最高奥義)と賞賛しました。

以上のように、河南嵩山少林寺に端を発する少林武術は、禅の精神修養と護身戦闘術が融合した独自の体系として長い歴史を刻んできました。その理念は後に「拳禅一如」として日本にも伝えられますが、それについては後述します。少林寺の歴史的事実と伝説が交錯する起源譚は、武術が単なる戦いの技でなく精神文化と結びついて発達したことを物語っています。